スピ依存

以前、スピ依存とブログのコメントにもらいました。詳しくはこちらを。
さてスピ依存とは何なのか。スピ依存は悪いのか。このブログを読んでいるあなたや、私はスピ依存なのか。(個人的には、スピリチュアル全てをスピ依存と否定することで何を得られるのかに興味があります。)
そういう基本的な定義や理解の共有無しに、議論は難しいのではないかと思います。まず私の頭の中にあるものをロジックツリーにしました。

Blue Neco作成

① 前提①-1 世界の成り立ちをどう考えるか

1番上の「世界はメタフィジカルなもの」というところは、それぞれの人にとっての世界の成り立ちの前提を入れていただければと思います。私は「メタフィジカル」と入れました。(用語の説明はこちらへ)唯物主義の反対の概念です。
使う概念や用語など、世界観や主義によって変わるのではないかと思い、まず立ち位置から明らかにしたいと思いました。


①-2 結論をどう出しているか 

最後の結論は、「問題あり(NG)」か「問題無し(OK)」という評価をしています。スピリチュアル的に言うと、問題あり、無しもジャッジであって、すべてはニュートラル、学びの対象ということになるかと思います。
しかしそれだと議論にならないので、まな板に乗せるために、普遍的な「他者に迷惑をかけることは基本的にはNG」というルール的なものを1つ置きました。人を殺すのはよくない、というのと同じです。
もう1つは、他者ではなく、自分に対する視点として、「自分の意志に反したことをやるのは基本的にはNG」というルールも置いています。「依存」とは、自分の本当の意志に関わらず何か別のことをやってしまい、それが止められない状態です。何かに依存することなく、自分の意志に沿って、自律的・自立的に人生を生きることは、こちらも誰にでも当てはまるポジティブな概念と思いますので、設定しました。

② この記事の目的

この記事の目的は以下の3つです。

(a) スピ依存とはどのような状態を指すのかを明らかにする。

(b) スピ依存は問題か(悪いのか)を評価する。(問題がある場合、悪い場合は、誰にとって悪いのか)

(c) 自分はスピ依存かを検証する。

また、この記事自体は、私の偏った価値観や信念を元に自分の頭の整理のために作っています。

この記事を使って、自分がどのような価値観や信念を持っているのかを発見するのに役立てていただければ幸いです。


③ まず結論から

(a) スピ依存の状態とはスピ依存とは、スピリチュアルという概念、あるいはスピリチュアルサービスに、指示、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態。自らの意志で思考や行動をコントロールできない状態で、自身、あるいは他者に対して問題を起こしうる病的な状態。
(b) スピ依存は問題かスピ依存って悪いの?という問いに対しては、以下のようなマトリックスになります。上記のロジックツリーでは、すべて「自覚あり」の下に来ます。

Blue Neco作成

  1. 自分の意志をコントロールできており、他者に迷惑をかけている場合 →NGかどうか議論の余地あり(人によって評価が分かれるのではないか)
  2. 自分の意志をコントロールできており、他者に迷惑をかけていない場合 →OK
  3. 自分の意志をコントロールできず、他者に迷惑をかけている場合 →NG【これは明らかにスピ依存】
  4. 自分の意志をコントロールできていないが、他者に迷惑をかけていない場合 →NGかどうか議論の余地あり(人によって評価が分かれるのではないか)

(c) 自分はスピ依存かの検証検証の結果、私自身はスピ依存ではないと結論付けます。

④ スピ依存とは何か。
 ④-1  スピ依存の定義
まず一般的に依存とは何かについて引用します。「依存」とは、他人や組織、モノに愛情や支持、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態であり、行為や思考のコントロール障害といわれています。自分ではやめられなくなり、精神医学の立場から病気と認められているものを「依存症」といいます。
出所:http://www.u-gakugei.ac.jp/~hokekan/d-izon0908.html


上記の一般的な依存の定義をスピリチュアルに適用し、以下のようにスピ依存を定義したいと思います。
スピ依存とは、スピリチュアルという概念、あるいはスピリチュアルサービスに、指示、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態。自らの意志で思考や行動をコントロールできない状態で、自身、あるいは他者に対して問題を起こしうる病的な状態。
ロジックツリーでいうと、スピリチュアルに対しては「自覚あり」のカテゴリーになります。また上記のようにスピリチュアルという概念やスピリチュアルサービスに病的に依存している「依存的」のカテゴリーに入ります。

 ④-2 個別の行動に見られるスピ依存例えば、「スピ依存」で想像できるものとして、
◆ 家計を圧迫するほどの高額のツボを買う。→家庭崩壊

◆ 他人を強引に勧誘する。→人間関係破綻


みたいなことを思いつくのですが、これの何が問題なのでしょうか。(どうしてそういうことが起きるのかも大事ですが、これはまた別の機会に。)
まず、家庭崩壊、人間関係の破綻など、他人に迷惑をかけるということが、問題なことは明らかですので、それがまず1つ。
次に、視点をその人自身に置いてみたいと思います。
依存、とは、自分の意志がコントロールできない状態なのですね。自分の意志ではない行動からもたらされる結果が、望んでいることではなかった場合に、問題は起きるのではないかと思います。
上の例で言うと、家庭崩壊や人間関係破綻が伴うにしても、本人が望んでいる結果が得られたとしたら、それは自分の中では問題ではないということになります。


◆ 家族の反対を押し切って、会社を辞め、子供の頃からの夢だった作家になった。妻はあきれて子供と家を出て行ったが、苦労の末、賞を取り今では金銭的にも成功している。妻は再婚し子供と幸せに暮らしている。


上の例は、その人が本当に作家が魂の仕事だった場合には、良かったということになるでしょうし、家族とのつながりが切れたことについても、妻が再婚できたことで、これで良かったんだということになるかもしれません。本人の視点については本人次第です。
ただ、人によって評価が違うというのは、「妻子の立場に立てば、これで良かったとは言えない!」という人も必ずいると思いますので、他者に視点が入ると、結論が分かれることになると思います。

 ④-3 痛みを麻痺させる副作用について

スピリチュアルビジネスでは現世的な効能を謳うことがよくあります。
乱暴に言うと、サービスを買えば、全ての問題が解決して幸せになれるというものです。消費者のメリットを訴求しないと商品やサービスは売れませんし、スピリチュアルで幸せになった人も多いと思いますので、それ自体問題とは私は思いません。(程度の問題はあるでしょうが)
ただ、「問題」とは何か、「幸せ」とは何か、発信する側と受け取る側に、認識の齟齬がある場合は多いのではないかと思います。
スピリチュアルという目に見えにくい世界なので、メリットばかりが強調され、デメリットやリスクが十分に受け取られない場合、正常な判断ができず、あいまいな希望を追いかけ続けることは起こり得ます。
(スピリチュアルサービスを例にしたのはお金を介在すると問題が起こりやすく明らかだからです。お金が絡まなくても問題は起こり得ると思います)
希望を追いかけることが目的になり、解決すべき問題に目を向けなくなる。そこに「依存」が生まれることになります。
私の場合、スピリチュアルなサービスであるヒーリングを提供していることで、意図せずにスピ依存を助長する可能性はあるのかもしれません。
ただこれは境界線の問題で、ではクライアントさんが私が提供するサービスに対して長期にわたって困った依存状態に陥った時、サービス提供者がすべて責任を負えるか、負うべきかというと、今の時点での私の考えは、両方ともNoです。
これはスピ依存がなぜ引き起こされるかと関係してくるので、この記事では扱いません。ただ、なぜ依存してしまうのか(させてしまうのか)について、相談をすることはできると思います。

⑤ 私やあなたはスピ依存か?

私についてですが、まず、上のロジックツリーの「自覚あり」に分類されると思います。スピリチュアルな導きで会社を辞め、ブログを書き、ヒーリングをクライアントさんに提供させていただいていると思っています。
自分の意志に反したことをやっていないと断言できますし、今やっている行動の結果を良いものも悪いものも引き受ける覚悟はあります。因みに、迷惑をかけている人(家族や友人など周囲の人)はあまり思い当たりませんね。
ブログについても、読みたい方が読んでくだされば良いし(強引に読めとは言っていない)ヒーリングを受けてくださる方も同様です。正直、なぜ「スピ依存」だと批判されるのかわからないです。
とは言え、自分以外の人が見たら、「あの人、ヤバイよね」と言うかもしれません。ブログにコメントをくれた人は、まさに「お前、やばい」と指摘してくれた訳です。
その場合、どうすれば良いのか?私は、「だから何?」と答えました。家族でも友人でもない、利害関係者ではない人からの批判など考えるまでもありませんでした。
社会で生きていく上では、他人の評価が自分に影響を与えることは免れません。誰の評価を考慮の対象にするか、それは自分の選択です。これを読んでくださる方も自分はどうしたいのかチェックしてみてください。
自分の意志があるということは、依存の定義には当てはまらないと思います。

⑥ 私が評価者の場合の結論

下記のマトリックスについて、「評価者による」というところは、私にとっては、以下の評価でした。

  • 他人に迷惑をかけていても自分の意志が明らかな場合 →OK
  • 自分の意志がコントロールできていないが他人に迷惑をかけていない場合 →NG

考えを深めていくプロセスで、自分が “偏っている”と気づきました。
例えば、人生において自分の意志をコントロールして生きることは大事、であるとか、自分の意志を全うできないのは幸せではない、などです。時には他者の迷惑に関わらず、自分の幸せを全うするべきだというのが私の信念としてあることがよくわかりました。
また加えて、他人に迷惑をかけない限り、私のやっていることをとやかく言わないで欲しい、という考えも根深く持っているようです。(笑)

⑦ 最後にDisclaimer

ブログへのヘイトコメントがきっかけとなり、自分の中のモヤモヤを整理し始めたら、長文になってしまいました。特に文献にあたった訳でもなく、整理しきれていないところもあると思います。
メタフィジカル、スピリチュアル、のような、あいまいな用語は今後整理していく必要があります。また反対の概念である唯物論者の考えも知る必要があるのだろうと思いますが、これもスキップ。今の時点では、私の理解も不十分ですし、あえて触れずに大枠を作るのに利用するにとどめ、別のところを整理の対象としました。
評価の基準として置いている2つのルールがどちらも信念なのは、興味深いのですが、「信念」なので、人によって、立場によって評価が分かれるのだと思います。他の評価基準もありうると思いますが、この記事は自分の頭の中の整理なので、これが限界かなと思います。
長文を展開しましたが、これが完成形でもないですし、正しい訳でもありません。今後も自分を振り返り、深めたいと思いますので、もし何かコメントがありましたら、建設的な形でお知らせいただけるとありがたいです。

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